今日も午前中揺れていて、まずいなあと思った。
皆様はお怪我などありませんでしたでしょうか。
そうだといいな。
非常袋を持ちだしたら2010/06が消費期限の非常用リッツ缶(大)をはじめ、
昔付き合っていた人が誕生日にくれた十得ナイフ(こんな字?便利だからという理由でもらったが乙女的に複雑な気持ちになった思い出)、タオル、お箸の束、ちょっとだけ固形燃料、マッチ、何故か砂糖、などが入っていた。
リッツは完全密封だが、食べるのは無理だろうか。
砂糖は完全にアウトなので破棄。
一応、以前から備えてはいたようだ。
地震があった日は、たまたまお家にいた。
撮影後の反省として例のダイエット中であり、お休みの日であり、
お母さんから荷物が届いたので電話で話してブラブラ散歩して、
好きなだけ迷って漫画を買って帰ったゆるやかな日のはずだった。
皆そう思っただろうけど、今まで経験したことのない揺れが来て。
まずグラスが落ちて割れたことにより動揺。
箪笥の上に散らかしていたアクセサリーが、一斉に床に散らかった。
バサバサと書類やらなんやらが落ちた。
頭上より高い位置に置いてあるレンジが落ちてこないよう支えつつ。
揺れが激しくなるにつれて思考が下記のごとく移動。
支えてる場合なのだろうか?外に出るべき?
↓
これはまずい、まずいぞ。
↓
いよいよダメかも。と言いつつ支えてるけど。
↓
この後死ぬかもしれないが、どういった過程を辿るのだろうか。
まるで船の上にいるようだった。
日本のどこかが、ここより酷いんだと思った。
長い揺れがゆるやかになって、
まず行ったことは、お母さんへの電話だった。
こういうとき、やっぱり「お母さん」なんだなあと実感。
しかし、当然繋がらず、ハワハワして下を見たら自分の足が震えていることに気付いた。
どうしたらよいか分からなくて、ひとまずガラスの破片を拾っていたら、
奥の方で妹が焼いてくれた備前焼のビアタンブラーも割れていてた。
悲しいやら、心細いやら。
何より、怖かった。初めて、本当に死ぬ過程について考えたもの。
東北の人達は、もっともっと怖かっただろう。
そして今も大変だし、怖いんだ。
亡くなった方々に追悼の意を表します。
もう、言うべきこととか、うまいこと言葉にできん。
祈るよりもできることを、小さくても行動を。
お母さんが献金してきたと言っていたので、娘も見習うつもり。
あと節電!
メールをくれた遠くの友達、ありがとう。
私は怪我もなく元気です。
そして今日は妹の誕生日。
おめでとう。